自己分析 2020.02.24
仕事の報酬は「仕事」
# 順調だと思っていた就活の落とし穴
私が就活をしていた時代は超氷河期でした。
2000年に大学を卒業し社会人になりましたが、その年の有効求人倍率は0.99倍。
1倍を割り込むのは現在からではなかなか想像しにくい厳しい時代でした。
そのような状況でも私は比較的順調に就活を進めることができました。
運の良さなどもありましたが、最大の要因は志望業界が明確に定まっていたことにあります。
志望していて業界は「旅行業界」
学生時代にバックパッカーをしていたので、旅行に対する想いが1年生の時から強く、
旅行の楽しさ、旅行をする意味を深く考え続けていたことが結果的に就活を楽しいものにしてくれました。
面接では旅行を通じて、人々に感じてもらいたいことや喜んでもらいたいことを必死にプレゼン。
当時を振り返ると本当に情熱をもって旅行業界の未来を語っていたと思います。
その結果、いくつかの旅行会社から内定をもらい、私の就活も無事終了かと思ったのですが、
本当の就活は内定後に訪れたのでした。
# ライフデザインとキャリアデザイン 内定を貰うと自分の心のなかに変化が起きました。 来春には本当に社会に出るんだというリアルな実感と10年、20年、30年というスパンでの人生計画への不安。 就活中は目の前のESや筆記、面接試験に日々忙しく、考える余裕が無かったのですが、 無事内定を貰えたら良い意味でも悪い意味でも色々と考える余裕ができ、 働くことという狭小的な視点でなく、生きることという遠大的な考えが頭をよぎるようになったのでした。 旅行こそが人生を懸けて取り組む仕事と信じていましたが、 人生の中長期的なキャリアアップや収入、余暇の過ごし方をリアルに考えてしまう内定後の日々。
# 仕事に打ち込んだからこそ、得られるもの 結局、悩みぬいた末に第一志望の旅行会社の内定をお断りし、飛び込んだのは 実力主義で役職や収入もやる気と結果次第の中小企業。 良い悪いではなく自分の描くライフデザインが実現できるだろうとの選択でした。 若くして出世して、稼ぎ、40歳にはお金から開放されて、もう一度海外へ旅に 出ようと決意しての決断でした。社会貢献よりも先ずは「自分の納得のいく 人生を」というエゴの優先という後ろめたい気持ちも多分にありましたが、 社会に出ることの漠然とした不安感を乗り越えるための選択だったのだと思います。 第一志望を断った覚悟も相まって、新卒で入った会社では早朝から夜遅くまで 連日働きました。その当時は、誰よりも仕事にのめり込んだ自信があります。 そうしてハードワークをしていると自然と責任のある仕事がまわってきたり、 部下や後輩の育成、マネジメントを任されるようになり、必死に背伸びして 仕事をしていました。 そして、当時25歳の自分にとって正社員やアルバイト含め部下・後輩が50名超いる環境そのものが 自分の成長を促し、そして自身の働くテーマ発見に繋がったのです。 自分のもとには色々な部下がいて、様々な働く動機や才能がある。 そのような人材を未熟な私はなかなか上手くマネジメントできませんでした。 ひとりひとりが働くことに夢中になれる人材育成について学びたいと心から感じた 時期でした。
# 働くテーマを20代で見つけよう 40歳でリタイアしたいという欲望で働きまくった結果、 働くことについて考える人材業界というフィールドが自分の活躍の場となりました。 真剣に仕事に取り組み、課題に向き合えば、自分が本当に取り組みたいテーマに たどり着く帰結となりました。 仕事での課題設定や解決、改善を突き詰めていくと自然と本質的な命題に 吸い寄せられるのだと思います。 私は25歳の時に人材の活用という命題にぶち当たり、その後の仕事のテーマと なっています。人材という領域で起業をする経験もできました。 **働くにワクワクするためには、本気になれるテーマを見つけることが大切です**。 そして、矛盾するかもしれませんが、**テーマを見つけるためには 仕事に本気で向き合ってみる**ことからはじまるのだと思います。
# ライフデザインとキャリアデザイン 内定を貰うと自分の心のなかに変化が起きました。 来春には本当に社会に出るんだというリアルな実感と10年、20年、30年というスパンでの人生計画への不安。 就活中は目の前のESや筆記、面接試験に日々忙しく、考える余裕が無かったのですが、 無事内定を貰えたら良い意味でも悪い意味でも色々と考える余裕ができ、 働くことという狭小的な視点でなく、生きることという遠大的な考えが頭をよぎるようになったのでした。 旅行こそが人生を懸けて取り組む仕事と信じていましたが、 人生の中長期的なキャリアアップや収入、余暇の過ごし方をリアルに考えてしまう内定後の日々。
# 仕事に打ち込んだからこそ、得られるもの 結局、悩みぬいた末に第一志望の旅行会社の内定をお断りし、飛び込んだのは 実力主義で役職や収入もやる気と結果次第の中小企業。 良い悪いではなく自分の描くライフデザインが実現できるだろうとの選択でした。 若くして出世して、稼ぎ、40歳にはお金から開放されて、もう一度海外へ旅に 出ようと決意しての決断でした。社会貢献よりも先ずは「自分の納得のいく 人生を」というエゴの優先という後ろめたい気持ちも多分にありましたが、 社会に出ることの漠然とした不安感を乗り越えるための選択だったのだと思います。 第一志望を断った覚悟も相まって、新卒で入った会社では早朝から夜遅くまで 連日働きました。その当時は、誰よりも仕事にのめり込んだ自信があります。 そうしてハードワークをしていると自然と責任のある仕事がまわってきたり、 部下や後輩の育成、マネジメントを任されるようになり、必死に背伸びして 仕事をしていました。 そして、当時25歳の自分にとって正社員やアルバイト含め部下・後輩が50名超いる環境そのものが 自分の成長を促し、そして自身の働くテーマ発見に繋がったのです。 自分のもとには色々な部下がいて、様々な働く動機や才能がある。 そのような人材を未熟な私はなかなか上手くマネジメントできませんでした。 ひとりひとりが働くことに夢中になれる人材育成について学びたいと心から感じた 時期でした。
# 働くテーマを20代で見つけよう 40歳でリタイアしたいという欲望で働きまくった結果、 働くことについて考える人材業界というフィールドが自分の活躍の場となりました。 真剣に仕事に取り組み、課題に向き合えば、自分が本当に取り組みたいテーマに たどり着く帰結となりました。 仕事での課題設定や解決、改善を突き詰めていくと自然と本質的な命題に 吸い寄せられるのだと思います。 私は25歳の時に人材の活用という命題にぶち当たり、その後の仕事のテーマと なっています。人材という領域で起業をする経験もできました。 **働くにワクワクするためには、本気になれるテーマを見つけることが大切です**。 そして、矛盾するかもしれませんが、**テーマを見つけるためには 仕事に本気で向き合ってみる**ことからはじまるのだと思います。