かにかまのおさかなのはなし

2015.08.25

かにかまのおさかなのはなし

こんばんはとだです。

かにかまのおはなし。かにかまは高級食材の蟹の身にみたてた色付けをされた練り物。近年はその食感や色合いから海外でも人気を博すようになった日本生まれの食べ物だ。そんなかにかまを見ていると切なさを覚える。
このかにかま、調べるとスケトウダラのすり身でできているらしい。スケトウダラといえば、鍋に良し、フライに良し、当然普通のかまぼこに使っても良しと、多くの活躍の場面がある魚だ。そんなスケトウダラがかにかまになる。この事実に切なさをつい覚えてしまう。
もし、鍋に使われたら、骨が邪魔だと文句を言われながらも、魚介の出汁として鍋を支えつつ、その白く甘みのある身が主役として君臨し、余すところなく愛されていたろう。もし、フライになっていたら、ソースをかけられ、おかずのとしてもつまみとしても活躍をしていただろう。おせち料理の紅白かまぼこになっていたら、少し大人の味が多く、子どもにはあまり好かれないおせち料理の中で、栗きんとんに並び、愛される存在になっただろう。
そんな多くの可能性を含んだスケトウダラが、かにかまとして、一生を終えるのだ。魚としてではなく、蟹に見立てた物として一生を終えるのだ。スケトウダラとしてのアイデンティティーを奪われ、蟹にもなれず、蟹によく似た何かとしてその生が終わる。これほど残酷なことはあるだろうか。
昨今『自分らしく働く方法』だとか、『個性を武器に生きるには』のようなビジネス書がたくさん出版されている。直木賞受賞作『何者』も、就活に落とされ苦しむ何者にもなれない若者がもがく作品だ。そんな「自分らしさ」が大切なものとされるこの時代において、かにかまにされるスケトウダラたちは、それを簡単に葬られる。中には個性を捨てることができることが自分らしさなんだと、胸を張るスケトウダラたちもいるかもしれない。
ただ私は考える。
スケトウダラは、鮪や鮭のように、自らの個性を認められる魚に憧れないのだろうか。スケトウダラではなく、蟹に似せられた魚だった物になることに抵抗はないのだろうか。それとも、かにかまの需要があることに、安心しているのだろうか。
皆さんはどう思いますか。

おそらく弊社はかにかまより、スケトウラダラが多く集まってます。
そんな説明会はこちら。
http://www.passion-navi.com/p-navi/company_seminar?cid=2944
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