
2024.12.09
生きることや人との付き合い方は全てガンダムが教えてくれた
どうでもいいがタトゥーを入れた。
“I WANNA BE YOUR JUDAS”
あなたのユダになりたい、などとずいぶん大仰なことを言うようだが、折角なので意味を解説します。
ユダとはご存知イエスキリストを裏切り、磔刑へと追いやった13人の弟子の1人である。
銀貨3枚で裏切り者の烙印を押され、悲惨な顛末の彼だが一部の神学によれば彼の裏切りによってイエスの死そして復活が為されたのだから、彼も救世主の一種と捉えることも可能でないか?と言われている。
人には(生まれながらに罪を持っているという意味の)原罪が課されていて、イエスの死によってそれが贖罪されたというのがキリスト教の教えである。
だから死に起因するユダという存在が神学上、重要な位置を占めるわけである。
これはなかなか面白い逆転の発想だ、と思った私は私の人生において私の思想(といってはこれまた大仰だが)や行動を形成した数々の影響に思いを馳せ、私自身もいつかはそのような人となって誰かの人生を変えたいと願うようになった。
そんなわけで私の人生を変えたロールモデルは誰かというと富野由悠季だった。
富野由悠季とは、あの機動戦士ガンダムシリーズを作り出した名監督である。
私にとってガンダムは父親の影響もあって、物心ついた頃から身近にある。
鮮明に覚えているガンダムにまつわる記憶は、ガンダムの映画が公開されたとき父に連れて行かれ、子供の駄々で上映間近に嫌がった私を父が怒鳴りつけた(最低!)ことか。
ガンダムからはロボットアニメのかっこよさとかよりも
生きることの意味、人と人との繋がりとは?そういうことを学んだ。
私の人生観や人間観はガンダムが源流である。
簡単にガンダムとは?というところから話を進めると、人口が増えすぎたために宇宙にコロニーを建設しそこへの移民が常態化した近未来。宇宙世紀0079年。
地球連邦政府がコロニー内の政治に介入する実情に反発したコロニーのひとつであるサイド3がジオン公国として自治権獲得のための宣戦布告を行い、一年戦争と呼ばれる争いが始まる。
それを描いた作品が1作目のファーストガンダムなのだが、ジオン公国との戦争に勝利した地球連邦の中での内部争いを描いたZガンダム、滅亡したジオン公国首領のお姫様を擁して新たに地球連邦へ戦争を仕掛けるネオジオンとの戦いを描くZZガンダム、終わらないネオジオンとの戦いを描く映画逆襲のシャアと、これらがいわゆる宇宙世紀モノにて富野由悠季が監督したストーリーが地続きな作品群。
ロボットアニメで戦記的な大河ドラマを構築したその着眼も、私としては非常に大好きで。
当時はプラモデルといったおもちゃとしてロボットを商品化することで売上が立てられるので、アニメ制作会社としては子ども向けロボットアニメを制作していくことが主流であった。
そんな中、普通のコンピューターオタクの少年アムロレイが自分や幼馴染に危機が訪れたことにより、成り行きでロボットを操縦することとなり、大人の戦争に巻き込まれていく・・・という非常にわかりやすい導入に他責志向に逃げたくなるような外部環境でもがく主人公の心の動き、敵味方それぞれの正義、幼馴染ではなく年上の女性の魅力と母への憎しみと愛、主人公のライバルとして登場するシャアアズナブルが実は貴種の息子で父を暗殺した仇への復讐を伺いながら戦争へと自ら介入していく貴種流離譚などなど、多彩な味付けがなされていることで子どもだけではない大学生や大人といった幅広い層に愛される作品となった。
私は高校生くらいから浅く広く映画や本など漁るようになった後でガンダムを改めて観直したとき縛りの与えられた制作環境で、これだけの物語を描き切り尚且つ冗漫にならない富野由悠季の監督力に感嘆させられた。
一方で、アーティストが作り出す作品とそのアーティストの思想は切っても切り離せないものなのだと考えさせられた。
それはビジネスにおいても、恋愛においても、その人の内部で作り上げられた思想というのはアウトプットにわかりやすく表現される。
その生み出されたアウトプットから、その人間を推し量ることが私は大好きだし
作品が何よりもその人を表していて愛おしいと感じる。
だからロールモデルについて語るにも、作品の説明を省略することはできないし、その作品を語ることがすなわちロールモデルを語ることなのだ。
話が長くなったが、じゃあガンダムって富野由悠季のどんな思想を表しているの?とあなたは思ったことだろう。
それはズバリ、やっぱ人と人って分かり合えないよね、でも人は1人で生きていけないし、分かり合えるように寄り添っていけるはず。ってことなのだ。
ガンダムに登場する概念としてニュータイプ、というのがあり。これは宇宙に進出した人類は本来秘められている力も引き出せるという新興宗教的な思想だが、これがロボットアニメとしては敵の動きが読めるという超能力的ギミックとして機能し、物語としては人類の革新でありながらそれを信じない上層部によってエースパイロットとして戦争利用され、戦後はその力を危惧され幽閉される。という人の愚かさを描くキーとしても用いられる。
富野由悠季の思想の変遷というのが面白く、先に紹介したファースト、Z、逆襲のシャアと観ていった時にそれが如実に現れる。
ファーストではニュータイプ思想というのが、当時流行したスターウォーズやヒッピーといった若者文化から生まれたと思われるが、そこに富野由悠季の「人と人が分かり合えるのなら、なぜ戦争が起きるのか」という問いが合わさって、理解し合える誰かが人それぞれにいるはず。戦争という悲劇の中にあってもニュータイプという人類の革新が起こす未来予測は決して悲劇的ではないはずという結論に至る。
一方、Zでは優生思想によって分裂、希望した未来予測へ航路を進めない大人たちへの怒り。その結果、人の感情を背負いすぎたが故に精神崩壊を起こすニュータイプの顛末を描く。
そして、ニュータイプ同士の心の通じ合い(一目惚れはニュータイプの特権である)、それが戦争によって引き剥がされていき、でもその戦争を起こしたのも人間で、それだけの悲しみが起きても終わらない人の争い、環境破壊など、いつまで経っても進歩しない人類の歴史、その傲慢さや強欲さを全てひっくるめて解決するには「地球に人が住めなくなってしまえばいいんだ」と思い至ったニュータイプの1人シャアアズナブルが起こす地球への隕石落としを描いたのが逆襲のシャアである。
だが、結末はその隕石をニュータイプが媒体となって敵味方一つに人の正的な感情を媒介し、隕石の軌道を修正し地球の危機を回避。
詰まるところ、敵味方の共同作業によって人と人が分かり合える瞬間を描いた記念碑的な作品なのである。
そんな富野由悠季の壮大なストーリーテリングとその大仰な語り口(地球に住んで汚くしちゃう人は馬鹿だから説教も込めて滅ぼします)は非常にダイナミックな生命のエネルギーを感じる。
文学にも通ずる富野が作り出す作品のセリフはよく「富野節」と評されるが、声に出して読みたくなるほど素晴らしい。
美しい日本語である。
Zガンダムや逆襲のシャアのクライマックスなどは声優の名演も相まって、聞くだけで涙が溢れる。
シャア 「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん」
シャア 「こ、これは、サイコフレームの共振。人の意思が集中しすぎてオーバーロードしているのか?なのに、恐怖は感じない。むしろあたたかくて、安心を感じるとは」
シャア 「そうか、しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ。それをわかるんだよ、アムロ」
アムロ 「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
壮大すぎる、でもそんな大風呂敷を物ともせずまとめ切るその手腕。。
はっきり言ってマスターベーションだが、それを観劇できるように作り上げてるのが素晴らしい。
まだ見たことがないという人はぜひ見てみましょう。
ということで次のバトンは
>>>>>>経理部の夏井さんで
『好きな作品(漫画でも音楽でも)を仕事と絡めて熱く語って』ください!!
お願いします?
“I WANNA BE YOUR JUDAS”
あなたのユダになりたい、などとずいぶん大仰なことを言うようだが、折角なので意味を解説します。
ユダとはご存知イエスキリストを裏切り、磔刑へと追いやった13人の弟子の1人である。
銀貨3枚で裏切り者の烙印を押され、悲惨な顛末の彼だが一部の神学によれば彼の裏切りによってイエスの死そして復活が為されたのだから、彼も救世主の一種と捉えることも可能でないか?と言われている。
人には(生まれながらに罪を持っているという意味の)原罪が課されていて、イエスの死によってそれが贖罪されたというのがキリスト教の教えである。
だから死に起因するユダという存在が神学上、重要な位置を占めるわけである。
これはなかなか面白い逆転の発想だ、と思った私は私の人生において私の思想(といってはこれまた大仰だが)や行動を形成した数々の影響に思いを馳せ、私自身もいつかはそのような人となって誰かの人生を変えたいと願うようになった。
そんなわけで私の人生を変えたロールモデルは誰かというと富野由悠季だった。
富野由悠季とは、あの機動戦士ガンダムシリーズを作り出した名監督である。
私にとってガンダムは父親の影響もあって、物心ついた頃から身近にある。
鮮明に覚えているガンダムにまつわる記憶は、ガンダムの映画が公開されたとき父に連れて行かれ、子供の駄々で上映間近に嫌がった私を父が怒鳴りつけた(最低!)ことか。
ガンダムからはロボットアニメのかっこよさとかよりも
生きることの意味、人と人との繋がりとは?そういうことを学んだ。
私の人生観や人間観はガンダムが源流である。
簡単にガンダムとは?というところから話を進めると、人口が増えすぎたために宇宙にコロニーを建設しそこへの移民が常態化した近未来。宇宙世紀0079年。
地球連邦政府がコロニー内の政治に介入する実情に反発したコロニーのひとつであるサイド3がジオン公国として自治権獲得のための宣戦布告を行い、一年戦争と呼ばれる争いが始まる。
それを描いた作品が1作目のファーストガンダムなのだが、ジオン公国との戦争に勝利した地球連邦の中での内部争いを描いたZガンダム、滅亡したジオン公国首領のお姫様を擁して新たに地球連邦へ戦争を仕掛けるネオジオンとの戦いを描くZZガンダム、終わらないネオジオンとの戦いを描く映画逆襲のシャアと、これらがいわゆる宇宙世紀モノにて富野由悠季が監督したストーリーが地続きな作品群。
ロボットアニメで戦記的な大河ドラマを構築したその着眼も、私としては非常に大好きで。
当時はプラモデルといったおもちゃとしてロボットを商品化することで売上が立てられるので、アニメ制作会社としては子ども向けロボットアニメを制作していくことが主流であった。
そんな中、普通のコンピューターオタクの少年アムロレイが自分や幼馴染に危機が訪れたことにより、成り行きでロボットを操縦することとなり、大人の戦争に巻き込まれていく・・・という非常にわかりやすい導入に他責志向に逃げたくなるような外部環境でもがく主人公の心の動き、敵味方それぞれの正義、幼馴染ではなく年上の女性の魅力と母への憎しみと愛、主人公のライバルとして登場するシャアアズナブルが実は貴種の息子で父を暗殺した仇への復讐を伺いながら戦争へと自ら介入していく貴種流離譚などなど、多彩な味付けがなされていることで子どもだけではない大学生や大人といった幅広い層に愛される作品となった。
私は高校生くらいから浅く広く映画や本など漁るようになった後でガンダムを改めて観直したとき縛りの与えられた制作環境で、これだけの物語を描き切り尚且つ冗漫にならない富野由悠季の監督力に感嘆させられた。
一方で、アーティストが作り出す作品とそのアーティストの思想は切っても切り離せないものなのだと考えさせられた。
それはビジネスにおいても、恋愛においても、その人の内部で作り上げられた思想というのはアウトプットにわかりやすく表現される。
その生み出されたアウトプットから、その人間を推し量ることが私は大好きだし
作品が何よりもその人を表していて愛おしいと感じる。
だからロールモデルについて語るにも、作品の説明を省略することはできないし、その作品を語ることがすなわちロールモデルを語ることなのだ。
話が長くなったが、じゃあガンダムって富野由悠季のどんな思想を表しているの?とあなたは思ったことだろう。
それはズバリ、やっぱ人と人って分かり合えないよね、でも人は1人で生きていけないし、分かり合えるように寄り添っていけるはず。ってことなのだ。
ガンダムに登場する概念としてニュータイプ、というのがあり。これは宇宙に進出した人類は本来秘められている力も引き出せるという新興宗教的な思想だが、これがロボットアニメとしては敵の動きが読めるという超能力的ギミックとして機能し、物語としては人類の革新でありながらそれを信じない上層部によってエースパイロットとして戦争利用され、戦後はその力を危惧され幽閉される。という人の愚かさを描くキーとしても用いられる。
富野由悠季の思想の変遷というのが面白く、先に紹介したファースト、Z、逆襲のシャアと観ていった時にそれが如実に現れる。
ファーストではニュータイプ思想というのが、当時流行したスターウォーズやヒッピーといった若者文化から生まれたと思われるが、そこに富野由悠季の「人と人が分かり合えるのなら、なぜ戦争が起きるのか」という問いが合わさって、理解し合える誰かが人それぞれにいるはず。戦争という悲劇の中にあってもニュータイプという人類の革新が起こす未来予測は決して悲劇的ではないはずという結論に至る。
一方、Zでは優生思想によって分裂、希望した未来予測へ航路を進めない大人たちへの怒り。その結果、人の感情を背負いすぎたが故に精神崩壊を起こすニュータイプの顛末を描く。
そして、ニュータイプ同士の心の通じ合い(一目惚れはニュータイプの特権である)、それが戦争によって引き剥がされていき、でもその戦争を起こしたのも人間で、それだけの悲しみが起きても終わらない人の争い、環境破壊など、いつまで経っても進歩しない人類の歴史、その傲慢さや強欲さを全てひっくるめて解決するには「地球に人が住めなくなってしまえばいいんだ」と思い至ったニュータイプの1人シャアアズナブルが起こす地球への隕石落としを描いたのが逆襲のシャアである。
だが、結末はその隕石をニュータイプが媒体となって敵味方一つに人の正的な感情を媒介し、隕石の軌道を修正し地球の危機を回避。
詰まるところ、敵味方の共同作業によって人と人が分かり合える瞬間を描いた記念碑的な作品なのである。
そんな富野由悠季の壮大なストーリーテリングとその大仰な語り口(地球に住んで汚くしちゃう人は馬鹿だから説教も込めて滅ぼします)は非常にダイナミックな生命のエネルギーを感じる。
文学にも通ずる富野が作り出す作品のセリフはよく「富野節」と評されるが、声に出して読みたくなるほど素晴らしい。
美しい日本語である。
Zガンダムや逆襲のシャアのクライマックスなどは声優の名演も相まって、聞くだけで涙が溢れる。
シャア 「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん」
シャア 「こ、これは、サイコフレームの共振。人の意思が集中しすぎてオーバーロードしているのか?なのに、恐怖は感じない。むしろあたたかくて、安心を感じるとは」
シャア 「そうか、しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ。それをわかるんだよ、アムロ」
アムロ 「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
壮大すぎる、でもそんな大風呂敷を物ともせずまとめ切るその手腕。。
はっきり言ってマスターベーションだが、それを観劇できるように作り上げてるのが素晴らしい。
まだ見たことがないという人はぜひ見てみましょう。
ということで次のバトンは
>>>>>>経理部の夏井さんで
『好きな作品(漫画でも音楽でも)を仕事と絡めて熱く語って』ください!!
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