株式会社インフォメーション
社長自己紹介 ②経歴

2022.10.18

社長自己紹介 ②経歴

皆さんこんにちは
株式会社インフォメーション代表取締役鈴木慧です。
今回の投稿では私の簡単な経歴をご紹介させていただきます。

「社長」と聞くと何か特別な人で生まれた時から凄かったのか。みたいな印象を抱かれることもあるのですが、そんなことは一切ないですし、私は大学へは進学していないので学力という点においてはこの記事をご覧になっている皆さんの方が遥かに高いところにいらっしゃると思います。

私は小学校も中学校も高校も公立の共学の学校という日本において一番沢山の人が進むであろう道を進んでいました。
兄の影響もあり、小学校の頃からサッカーを始め、中学でもサッカー部でした。
小さな頃から比較的運動は得意な方でしたがクラスで1番2番という事はなく、「運動」という括りで見れば上位20%にはギリギリ入っていたかな?というくらいです。
勉強も決して特別出来る方ではなく、主要五教科ではなんとか5段階中4が取れていた記憶があります。

中学までは真面目に学校に通っていたので良かったのですが、高校に入学してからは部活も1年生の半ばで辞めてしまい、そこからはバイト三昧の日々を過ごしていたので卒業時には出席日数はギリギリで担任から「〇〇の教科は後1回休んだら留年だぞ」と言われる程に学校に行っていませんでした笑
進路も特に決めないまま高校3年になり、父から進路について聞かれた時に「特にやりたいことも無いから大学へ行く」と伝えたら父からの返答は「大学は目的が無い人が行くところでは無いのでダメだ」と言われました。
その時のやりとりは鮮明に記憶しており、当時は話の分からない親父だなと思ってましたが、今ではそのやりとりに感謝をしております。

結局私は高校を卒業後、料理の専門学校に進学をしました。
1年制の学校だった為、あっという間の学生生活でした。
高校とは違い、1年間無遅刻無欠席無早退で卒業しました。
卒業後、私が生まれるよりも前の1982年に開業の老舗イタリアンレストランに就職しました。
まだ日本に「イタリアン」という言葉すらなかった時代に開業しているお店です。
そこでは朝の9時~夜は早くて0時、遅いと2時、3時まで仕事をしていました。
休みは月に2~3日で時給を計算したら300円台でした笑

そんな生活をしていた為、「週に2日休みがあり、9時~17時の仕事ってほとんど休みじゃん」と思っていたのを今でも良く覚えています。(今考えれば失礼な話ですね笑)
しかし、長くは続かず1年足らずでそのお店は辞めてしまいました。
理由は大きく分けると2つです。

このまま修行を続けて30代、40代で自分のお店を持ったとしてもそのお店が上手くいかなかった時に選択肢が料理人しか無い事 料理を作る側よりも食べる側にいたいと思った事どちらも当時の思考なので今の自分だったら違う選択肢も考えられたと思います。(今の自分に充足感を感じているので後悔は微塵もありません)
その後、「料理を食べる側の人になる」という目的の為、お金を稼げるようにならないといけないと思い、「お金を稼げる=営業職」というイメージがあった為、営業職への転職をしようと決意しました。

大学にも行っておらず、経験も無い私を雇ってくれるところなんてそうそう無いだろうと思い、求人票で「都内」「営業職」の条件で片っ端から応募しました。
車、不動産、宝石、広告、IT、雇ってくれるならどこでも良いと考えていました。
何社にも同時に応募したところ、1社目に面接を受けた会社で受かりました。
そして、他の会社を受けても比較するだけの知識も経験も無いのでその会社で働こう!と決め、就職しました。2009年の12月の事です。
その会社はGMOインターネットグループの子会社でWeb広告の営業職としての採用でした。

この話は過去どこでもした記憶が無いので初公開ですが、実はその会社の面接の日に寝坊をして面接開始時間に起きたのです。
すぐに会社に電話をして「寝坊をして面接に間に合わないから別日でお願いしたい」と正直に言いました。
寝坊してしまったし、このままバックレようかなとかも頭をよぎりました。
何故正直に伝え、別日でお願いしたいと要望したのかをあまり覚えていません。
しかし、今振り返ってみるとその行動が今の結果をもたらしているのは事実なのでとても良かったと思っています。
その会社では入社1か月の間に同期がどんどん受注を上げていく中、私は初月は1件も契約を取る事が出来ませんでした。
翌月初受注を上げましたが、3か月くらいまでは平均かそれよりも少し下くらいの成績でした。
半年経ったくらいから良い成績が出せるようになり、1年経った頃には200名くらいいる社員の中で毎月営業実績は1位を取れるようになりました。
役職も上がりましたが、給与は色々な理由から上がらずに気が付いたことは
給与は出している結果や能力よりも評価の仕組みや環境に左右される。という事です。このお話の詳細はタイムライン投稿「起業の理由について」で書いておりますので、良かったら読んでみてください。
https://cheercareer.jp/company/message_detail/4353/106049

その後、起業は既に視野に入れていましたが、医療機器メーカーへ転職をしました。
転職活動を行い、退職をしてからは個人事業主として仕事を始めていました。
なお、転職先の会社の応募条件は「営業経験5年以上」「大卒」「英語が話せる事」でしたが、私はどれも満たしていない状態で応募し合格して働き始めました。
人の命に関わる仕事ということで入社後の研修が非常に厳しく、入社翌日から約1か月半静岡にある研修施設に缶詰となり毎週知識テストを行い、90点未満を取ると再試。再試では100点を取らないと実質クビとなるような環境でした。
そこでの努力は「自分の限界を超える」「やりきる」という点において非常に良い経験になったと思っています。
そこの会社に入社して半年経つ頃に今の株式会社インフォメーションを設立し、1年経った時に退職し、自分の会社一本で生きていく決心をしました。
その医療機器メーカーには手厚い研修をしていただいたのに短期間で退職してしまい大変申し訳ないと思っていますが、同期の中では1番の営業成績を出し、研修担当の方とはしっかりと話し合い、理解をしてもらえ、快く送り出していただいたので感謝をしております。
冒頭で「簡単な経歴を紹介」と言っておきながらかなりの長文になってしまいましたが、起業する前までの経歴になります。
この後の歴史についてはまた別の機会で書かせていただきます。

当社の会社説明会では質問大歓迎ですので少しでも気になる事があればなんでもお聞きください!
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https://cheercareer.jp/company/seminar/4353
この投稿の著者
中田萌
採用担当
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