2021.11.20
生産性が高いということ
生産性が高いというのは、圧倒的な速さで多くの業務をこなせる状態のことではない。ましてや、大量の業務を残業をしながら行っている会社のことでもない。
生産性が高いというのは、本質的に大事なこと、多くの課題の中から最も重要なものを見抜き、そこに注力して結果を出すことだと思う。
ここを間違えると、「解くべき問題」を取り違えてしまって、やたらに多くの「些細な問題」に取り組んでしまって時間オーバーになってしまったり、解いたところで何も事態は変わっていない、好転していないことすらあり得る。問題を解くスピードが遅いのではなくて、解くべき問題を間違っている状態が「生産性が低い」状態となって現れる。
企業活動も、幾らやっても報われない衰退市場、激戦市場で頑張ったところで、結局は「最も安いところが勝つ」市場であれば、誰も勝者がおらず単に消耗するだけ、結果として「生産性が低い」という烙印が圧されてしまう。社員は頑張っているのに、「間違った市場」にいる限りは、勝つこと、幸せになることは大変難しいと思う。
勝てる市場を選ぶ、その中でも本質を考え抜き、創意工夫を凝らして他社と差別化することで、努力の量が結果に結びつく。これが「生産性が高い」状態だ。当社ではそれを「レバレッジが効かせる」と呼んでいる。
当社は、特に個人として「仕事ができる人」はそんなに多くはいない(もしくは、いない?)。しかし防虫業界というニッチマーケットの中でも、業務向け開発型商社、コンサルティング商社として独自のポジションを取り、セミナー活動や製品開発、ソフト開発、サービスネットワーク作りなどの創意工夫で高い生産性、高いレバレッジ効果を保っていると思う。
一番大事なことは、「跳ぶ前に考えろ」(もしくは「跳びながら考える)ということ。何が求められているのか、何が重要なのか、当社に勝算はあるのか、本当にやるべき仕事なのか、様々なことを考えて、そしてその一点に注力すること、これが生産性を高めるコツだと思います。
【環境機器の採用関連リンク】
「環境機器って何やってる会社?(チアキャリアの説明ページ)」
生産性が高いというのは、本質的に大事なこと、多くの課題の中から最も重要なものを見抜き、そこに注力して結果を出すことだと思う。
ここを間違えると、「解くべき問題」を取り違えてしまって、やたらに多くの「些細な問題」に取り組んでしまって時間オーバーになってしまったり、解いたところで何も事態は変わっていない、好転していないことすらあり得る。問題を解くスピードが遅いのではなくて、解くべき問題を間違っている状態が「生産性が低い」状態となって現れる。
企業活動も、幾らやっても報われない衰退市場、激戦市場で頑張ったところで、結局は「最も安いところが勝つ」市場であれば、誰も勝者がおらず単に消耗するだけ、結果として「生産性が低い」という烙印が圧されてしまう。社員は頑張っているのに、「間違った市場」にいる限りは、勝つこと、幸せになることは大変難しいと思う。
勝てる市場を選ぶ、その中でも本質を考え抜き、創意工夫を凝らして他社と差別化することで、努力の量が結果に結びつく。これが「生産性が高い」状態だ。当社ではそれを「レバレッジが効かせる」と呼んでいる。
当社は、特に個人として「仕事ができる人」はそんなに多くはいない(もしくは、いない?)。しかし防虫業界というニッチマーケットの中でも、業務向け開発型商社、コンサルティング商社として独自のポジションを取り、セミナー活動や製品開発、ソフト開発、サービスネットワーク作りなどの創意工夫で高い生産性、高いレバレッジ効果を保っていると思う。
一番大事なことは、「跳ぶ前に考えろ」(もしくは「跳びながら考える)ということ。何が求められているのか、何が重要なのか、当社に勝算はあるのか、本当にやるべき仕事なのか、様々なことを考えて、そしてその一点に注力すること、これが生産性を高めるコツだと思います。
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この投稿の著者
片山 淳一郎
代表取締役
京都大学法学部卒・ケンブリッジ大学経済学修士
高校時代の部活、水球から人生の全てを学ぶ。大学卒業後、日本興業銀行へ入行し社会人の基礎を学んだ後退職。イギリス留学を経て当社に入社、2000年に家業の当社を継ぐ。老舗町工場であった当社を開発型コンサルティング商社に業態変更し、業界1位の独特なポジションを築き上げた。当社の経営と共に、公益社団法人日本国際民間協力会の副理事長として途上国支援に注力、また一般社団法人茨木ウォーターポロクラブを立ち上げ、大阪での水球普及を行なっている。社員と共に、フルマラソンに挑戦する健康経営を実践。毎年12月に開催される那覇マラソンが社内の公式大会。自らも走るのは嫌いだが「経営者の強みは知力と体力」と考えて日々頑張っている。
高校時代の部活、水球から人生の全てを学ぶ。大学卒業後、日本興業銀行へ入行し社会人の基礎を学んだ後退職。イギリス留学を経て当社に入社、2000年に家業の当社を継ぐ。老舗町工場であった当社を開発型コンサルティング商社に業態変更し、業界1位の独特なポジションを築き上げた。当社の経営と共に、公益社団法人日本国際民間協力会の副理事長として途上国支援に注力、また一般社団法人茨木ウォーターポロクラブを立ち上げ、大阪での水球普及を行なっている。社員と共に、フルマラソンに挑戦する健康経営を実践。毎年12月に開催される那覇マラソンが社内の公式大会。自らも走るのは嫌いだが「経営者の強みは知力と体力」と考えて日々頑張っている。
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