2022.01.14
非日常の大切さ
意識的に定期的に、非日常を経験することが大事だと思う。人は同じ環境に長くいると、その環境が「当たり前」となっていく。しかしその「当たり前」は当たり前とは限らない。昨日までの常識は一瞬にして非常識に変わっていくことは、このコロナ禍で多くの人が経験したと思う。
「まずはご挨拶させて頂いて」は「まずはZOOMで打ち合わせましょう」となったし、会社に行かないことが当たり前にもなった。用事もないのに出社しようものなら、危機管理と自己管理ができない人と思われてしまうほどだ。昔の話だと印象的だったのは、原付バイクでもヘルメットを被る規制が導入された時だ。ちょうど切り替えの時が海外旅行に行って帰ってきたタイミングだった。帰国すると、なんと(当たり前だが)全員が全員、ヘルメットを被っている。間違って違う国に帰ってきたような気になったことを今でもよく覚えている。
意識的に非日常を経験することは大事だと思う。僕も10月にはアメリカへ出張したり、この年末年始は北海道に旅行してきた。アメリカでは日本とは違って経済活動は普通に行われていたし、何より外国だから日本とは何かと勝手が違う。北海道は生憎の天候だったが、それでもマイナス15度20度の非日常な世界を経験することができた。ボランティアの海外支援の仕事でケニアに出張した際も、1日1ドルで暮らす人々の様子を伺うことができた。吉野家の牛丼は400円くらいだが、ケニアのスラムからすると4人家族が1日暮らせる金額だし(=高い)、スイスのビッグマックの半額でもある(=安い)。
当社でやっているフルマラソン参加(今はコロナで休みだが)も、非日常を感じるためのイベントとも言える。オフィスで一緒に働いている人たちと、沖縄の朝9時にフルマラソンのスタートラインに立っている(しかも二日酔い)と言うのは、かなり貴重な体験である。日常の常識を覆す、昨日までの当たり前を意識して変えていくには、人事異動も有効だと思う。同じ仕事を10年間も続ければ、かなり熟練はするけれど、同時にその日常が当たり前になってしまう。当たり前を不変、普遍と感じてしまうとイノベーションは起こりにくい。他所者の目で、素人の真っ新な目で見て、初めて業界の常識は世間の非常識だと言うことに気づく。
(片山のブログから転載。字数の都合上一部編集しています)
「まずはご挨拶させて頂いて」は「まずはZOOMで打ち合わせましょう」となったし、会社に行かないことが当たり前にもなった。用事もないのに出社しようものなら、危機管理と自己管理ができない人と思われてしまうほどだ。昔の話だと印象的だったのは、原付バイクでもヘルメットを被る規制が導入された時だ。ちょうど切り替えの時が海外旅行に行って帰ってきたタイミングだった。帰国すると、なんと(当たり前だが)全員が全員、ヘルメットを被っている。間違って違う国に帰ってきたような気になったことを今でもよく覚えている。
意識的に非日常を経験することは大事だと思う。僕も10月にはアメリカへ出張したり、この年末年始は北海道に旅行してきた。アメリカでは日本とは違って経済活動は普通に行われていたし、何より外国だから日本とは何かと勝手が違う。北海道は生憎の天候だったが、それでもマイナス15度20度の非日常な世界を経験することができた。ボランティアの海外支援の仕事でケニアに出張した際も、1日1ドルで暮らす人々の様子を伺うことができた。吉野家の牛丼は400円くらいだが、ケニアのスラムからすると4人家族が1日暮らせる金額だし(=高い)、スイスのビッグマックの半額でもある(=安い)。
当社でやっているフルマラソン参加(今はコロナで休みだが)も、非日常を感じるためのイベントとも言える。オフィスで一緒に働いている人たちと、沖縄の朝9時にフルマラソンのスタートラインに立っている(しかも二日酔い)と言うのは、かなり貴重な体験である。日常の常識を覆す、昨日までの当たり前を意識して変えていくには、人事異動も有効だと思う。同じ仕事を10年間も続ければ、かなり熟練はするけれど、同時にその日常が当たり前になってしまう。当たり前を不変、普遍と感じてしまうとイノベーションは起こりにくい。他所者の目で、素人の真っ新な目で見て、初めて業界の常識は世間の非常識だと言うことに気づく。
(片山のブログから転載。字数の都合上一部編集しています)
この投稿の著者
片山 淳一郎
代表取締役
京都大学法学部卒・ケンブリッジ大学経済学修士
高校時代の部活、水球から人生の全てを学ぶ。大学卒業後、日本興業銀行へ入行し社会人の基礎を学んだ後退職。イギリス留学を経て当社に入社、2000年に家業の当社を継ぐ。老舗町工場であった当社を開発型コンサルティング商社に業態変更し、業界1位の独特なポジションを築き上げた。当社の経営と共に、公益社団法人日本国際民間協力会の副理事長として途上国支援に注力、また一般社団法人茨木ウォーターポロクラブを立ち上げ、大阪での水球普及を行なっている。社員と共に、フルマラソンに挑戦する健康経営を実践。毎年12月に開催される那覇マラソンが社内の公式大会。自らも走るのは嫌いだが「経営者の強みは知力と体力」と考えて日々頑張っている。
高校時代の部活、水球から人生の全てを学ぶ。大学卒業後、日本興業銀行へ入行し社会人の基礎を学んだ後退職。イギリス留学を経て当社に入社、2000年に家業の当社を継ぐ。老舗町工場であった当社を開発型コンサルティング商社に業態変更し、業界1位の独特なポジションを築き上げた。当社の経営と共に、公益社団法人日本国際民間協力会の副理事長として途上国支援に注力、また一般社団法人茨木ウォーターポロクラブを立ち上げ、大阪での水球普及を行なっている。社員と共に、フルマラソンに挑戦する健康経営を実践。毎年12月に開催される那覇マラソンが社内の公式大会。自らも走るのは嫌いだが「経営者の強みは知力と体力」と考えて日々頑張っている。
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