大学卒業後、私は教授の推薦を受け、
ある大学の研究室で実験の補佐などを担当する技術員という仕事に就いていました。
教授からすれば、私に技術員の傍ら論文を書かせ博士号を取得させてやろう、
という思惑があったようです。
しかし私は学生時代から起業こそが自分の目標と思い定めていました。
そこで技術員を2年ほど経験したのち、
産業用ロボットを開発するベンチャー企業に就職しました。
学生時代の友人たちが大手の家電やOA機器メーカーのエンジニアとして活躍している中、
社員数3名という会社を選んだのは「
大きな組織では起業に必要な知識を身につけられない」と考えたから。
また産業用ロボットは今後、市場規模を大きく拡大していくはずという読みもありました。
私はこの会社で約5年間、ロボットの設計・開発はもちろん、
営業や経理、会社の経営に至るまでを必死に勉強しました。
しかし、社員数がようやく100名を超えるところで、
経営者が不動産投資に失敗し、経営破たん寸前に。
これを機に、ついに私は起業することを決意したのです。
創業当時のメンバーは私を含めて5名ほど。
ロボットの開発をしていたので、ソフトからハードまで、
技術力には自信がありましたが、取引先は一社もありません。
それでも、「やる気はあるけど仕事がない」をキャッチフレーズに、
大手電機メーカーへ400回以上も営業に回るうち、
少しずつ話を聞いてくれる企業が出てきました。
それが1994年、サイエンスパークの始まりです。
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