仕事と遊びのONとOFFの切り替えも当社の特徴です。
学生時代は経営を学び、大手証券会社に就職して順調に社会人生活をスタートしたのですが、入社後1年もたたないうちに阪神・淡路大震災が発生したことが人生を大きく変えてしまいました。
当時,神戸支店で富裕層のお客様に対する証券営業をしていましたが、一度きりの人生だからやりがいのある仕事に挑戦したいという思いが募って起業を目指しました。半年準備をした後に当初は経営コンサルタントを目指して起業しましたが、当然うまくいくはずもなく、その後はしばらくフリーターみたいな生活をしていましたね。
これではいけないと思って求職活動を始めて入社したのが、当時ベンチャー企業であり携帯電話などの移動体通信の販売店を全国展開して急成長していたIT商社です。仕事はものすごくエネルギッシュでしたが、当時社会人として出遅れ感が強かった私にとってはようやく居場所が見つかったという安堵感がもて、充実していました。IT商社の販売店の全国展開をより一層加速するために、1999年にデジタル・コミュニケーションズを立ち上げました。
ところが起業後1年も経たないうちにITバブルが崩壊しました。その余波により携帯電話の販売店の全国展開という事業が行き詰まり、携帯電話の販売手数料が入金しなくなったことから創業時の社員も次々と辞めていく事態になりました。その年の暮れには複合機をはじめとするOA機器の販売に事業を大きく転換し、20名程度の残った社員で必死に顧客を開拓、食いつないでいきました。3~4年後にはOA機器販売が軌道に乗って一息つけたのですが、創業当初の頃が当社の最大の危機でしたね。
一方で、当時直面した倒産の危機は会社経営における理念や価値観の大切さを考えるきっかけにもなりました。ITバブルの中で“金儲け”ビジネスにばかり目を奪われていたのですが、本来の企業の在り方とは何だろうが、経営者としてどのように企業経営にどう向かい合っていけばよいのかと必死に考えました。その結果が“200年継続する企業に仲間入りする”であり、“人財育成に力を注ぎ、情熱と成長意欲に満ち溢れた人財集団になる”という当社の経営理念につながっています。
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